2013年2月27日水曜日

炭水化物と新聞広告と思い込み

【All About News Dig】連動エントリー
お恥ずかしながら、参加している調理ユニットで、角川書店の文芸誌「小説 野性時代」さんで「レッツ! 粉もの部」という連載を持たせていただいています。いまも担当してくださっている女性編集者のSさんからご依頼をいただいたとき、メンバー一同、驚愕したのを覚えております。しかし最初にごあいさつさせていただいたとき、彼女から発せられた言葉は、さらに衝撃的でした。

「女の子は、炭水化物、大好きですよ!」

雑談をしている最中、僕が「女性って、炭水化物を遠ざける人が多いじゃないですか」と軽口を叩いたところ、上記のようなコメントが返ってきたのです。ふだん女性の友人たちから「ダイエット中だから炭水化物は食べない」というようなコメントをよく聞かされていたので、てっきり女性は炭水化物と仲がよくないと思い込んでいました。でもそれは思い込みで、次のような構造もあるわけです。

1.炭水化物が大好き

2.好きだから、つい食べてしまう

3.スタイルが気になる

4.炭水化物を減らす(そしてフリダシの1.に戻る)

つまり僕の印象に残っていたのは、3.と4.の女性が多かったのでしょう。それが女性のすべてだという思い込みです。そしてこうした思い込みは、いろんなところに転がっています。

例えば「新聞」というメディアが男女のどちらに響くかというと、「男性が読んでいる」というイメージが強いのではないでしょうか。例えばドラマなどでも次のような場面がよく描かれます。

・朝食を食べながら、父親が新聞を読んでいる。
・トイレで新聞を読む父親が母親や娘から文句を言われている。
・満員電車で縦に折った新聞を男性が読んでいる。

女性が読んでいるシーンでも、「仕事をしている女性が出勤前、朝食を食べながら」など、「男性的なシーンの象徴」として描かれることが多いようです。ところが最近の調査では、ほとんどの年齢層においてそれほどの差はありません。以下のグラフのピンクの線が1975年、点線が2000年、黒い線が2010年です。70歳以上で、大きな差がついていますが、それ以外の層での差異はほぼ数%以内にとどまっています。

※社会実情データ図録(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3957.html)より。


そしてこんな記事もありました。
新聞広告は男性よりも女性に効果的【ADK調査】
http://markezine.jp/article/detail/17229

広告会社のアサツー ディ・ケイの、 「消費者にとっての新聞・新聞広告の価値についての調査」 によると、女性は男性よりも新聞広告をよく見ており、参考にする度合も高いことが明らかに」なったんだそうです。

「新聞を読むのは男性」という前提となる思い込みがズレているばかりか、新聞の読み方も、広告面に限って言えば「女性のほうがよく見ている」というのです。この調査リリースについては「そんなわけで、みなさん、女性向けの広告を新聞に打ちましょう」という深謀遠慮があるのかもしれませんが、なんにせよ、世のあちこちで見かける、届けたいものも届かないという不幸な光景は、勝手な思い込みで先走った結果に由来するところも多いような気がします。

●というわけで、本日覚えたこと。
女性は意外と炭水化物が好きである。
女性は意外と新聞を読んでいる。
女性は意外と新聞広告も見ている

あ、「女性は意外と」というのは、特に女性蔑視という意味ではなく、あくまで「世間のイメージと比べて」という意味だと予防線を張らせていただき、本稿を締めたいと思います。

2013年2月25日月曜日

俺のイタリアン(フレンチ)とAKB48の地肩の強さ

【All About News Dig】連動エントリー

新しくて目立ちやすい手法というのは、周辺からあれこれ言われがちなもの。とりわけブームになるような「商品」「サービス」はその傾向が強うございます。

飲食業界で言うと「一流店の味を格安で提供する」と言われる、「俺のイタリアン」「俺のフレンチ」といった話題の店舗を次々に展開するバリュークリエイト。回転率を上げるという驚くべき手法で、1皿あたりの単価を抑えつつ、数量限定で「原価割れメニュー」を導入するなど、キャッチーな戦略を導入した結果、結果1日あたり3~5回転という驚異的な高速回転で成功をおさめている模様です。

こうした新しい試みはあちこちに波紋を呼びます。絶賛の声も上がりながらも「本当に利益が出るのか?」とか「技術を安売りして、今後やっていけるのか」などさまざまな声が飛び交っているよう。

こうした既存の商慣習を打破する手法は、いつの時代もどんな業界にも存在するわけで、他業種に目を向けると、現在、その最たるものがAKB48と言えるでしょう。少し前にこんなニュースがありました。

面白ければ結果はどうなったっていい? AKB握手会の罰ゲームに賛否。
http://news.mynavi.jp/c_cobs/news/techinsight/2013/02/akb-119.html

記事中では
罰ゲームで粉にまみれるメンバーの姿に「盛り上がりが写真で伝わりますでしょうか?」とコメントしたものや、「ぶら下がり罰ゲーム」と説明した鉄棒にぶら下がるメンバーの写真がアップされた。ぶら下がり罰ゲームの方は落ちると体重が明らかとなるしくみだ。

という記述の後に

同イベントでは体調を崩して途中退場したメンバーや、泣き出したメンバーもいたようだ。


と続いておりました。いったいどんなことをやったら、賛否の声が寄せられたのでしょうか。と思って、戸賀崎支配人のGoogle+を見てみると、画像や動画が残されていました。
https://plus.google.com/103388469578205010447/posts/bGXc8X3zwii
https://plus.google.com/103388469578205010447/posts/Qk1CNG5aJHb

よくよく読むと、メンバーが体調を崩したり、泣き出したことと、このイベント企画の因果関係は、この記事からはわかりませんでした。受け手としてはうっかり煽られないよう、より情報の精査が必要になるわけでございます。まあ、AKB48はこうした「芸能人運動会」的な企画を有料イベントとして行い、Google+のようなSNSとの連動展開をあのスケールで実現した先駆者。反響が大きいからこそ、ネガティブな声も聞こえてきてしまうというところなのかもしれません。

「俺の~」にしろ、AKBにしろ、こうした「新しいモデル」はそのモデル自体がいつかは消費されたり、飽きられることを、織り込みながら設計されています。例えばバリュークリエイトは、最近「俺のやきとり」など客単価がさらに安い業態にも進出しています。AKBにしても、国内・海外問わず、同じモデルでさまざまな試みを行い、さらなる当たりモデルを引き当てようと、さらなる高みを目指す姿勢に下げた頭が上がらなくなるわけです。

一方、「新しいこと」の認知を進める過程では、ソーシャルメディア上などでネガティブな声の拡散リスクもあります。とりわけ、表向きのイメージと舞台裏での素顔が違っていたりすると、炎上につながりやすい。自戒を込めて申し上げると、一部の大天才の方々は別として、「正直に」「善良なスタンスで」「目の前にあることを最大限に楽しむ」のは、意外に重要だということをことあるごとに再認識させられるわけでございます。

最近では、一撃で当たりを引くなどという図々しいことを考える人は少なくなりました。結局のところ、次々に球を投げられる地肩の丈夫さが、成功につながりやすいのは、いまも昔も同じということなのかもしれません。

おっと、Blogじゃなくて、企画書書かなくちゃ。

2013年2月23日土曜日

ドライエイジングビーフ(DAB)を考える

そういえば、最近「食べもの」の話をあまり書いていなかったので、下書きに寝かせておいた話をひとつ。先日の「鳩山家の食事に見る「庶民感覚」の正体」でフォアグラの話に触れたので、ここいらでいったんあげておきます。

僕は基本的に食べ物の好き嫌いはありません。たまに食べるジャンクフードもおいしく頂きますし、「くさや」だっておいしく食べられます。いわゆる「食べ物」で苦手なものはほとんどありません。きっと貧乏性なんでしょう。ただ、いくつか引っかかっていることがあります。

ちょこちょこ書いている「調理の常識の間違い」とか
「重層的な味わい」ばかりを目指して味を足しまくる傾向とか
ハレとケ(外食と家メシ)の境界線の溶け方とか
大人と子どもの食べものの混同っぷりとか

いろいろと思うところはありますが、とりわけ、気持ちの処理に困る食材があります。

ドライエイジングビーフ(DAB)。牛の枝肉などをむき出しのまま、冷蔵庫内で数週間かけて熟成させた牛肉です。ドライエイジングは、アメリカのステーキハウスなどで使われる熟成法で、最近、日本でも「香りがいい」「味わいが深い」と取り上げられるようになりました。

ちなみに現在、日本で流通するほとんどの牛肉は真空パックで熟成させるウェットエイジングです。ドライとウェットの違い(モータースポーツのタイヤみたいですがw)は、このあたりのサイトにお任せします。

さてどうしてDABについて微妙な気持ちになってしまうのかというと、可食部を大幅に捨てざるを得なくなってしまうからです。以前、DABの旨さに感動して、図々しくも「自分で作れないものか」と挑戦してみたことがあります。温度や庫内環境などあれこれ調整すれば、数kgサイズの肉でもそれなりにおいしくはなる。しかし、本来食べられる肉の半分以上を、捨てることになってしまうのです。

これまで屠畜やエイジングを人の手に委ねて、お肉を手に入れてきたので、想像力が欠落していました。カビが生えた表面や、そこから数cmにわたって変質して乾燥した部分はトリミングして捨てざるを得ません。この作業が耐えがたい。「『いただきます』は『命をいただく』こと」と教育された身としては、「(命を)粗末にしているのではないか」という罪悪感にさいなまれてしまうわけです。

調べてみたところ、DABでの歩留まりはプロの業者さんでもいいとこ6割弱。つまり4割以上の肉はムダになってしまう。そう聞くと今後、DABを自分で注文はしない気がします。いまもフォアグラを遠ざけているのと、少し似ているかもしれません。といっても今後、絶対に口にしないかというと、わかりません。ハレの宴席で食事を出されて残すのも違うような気がします。うーん。「いただく」ことはいつも難しうございます。

だいたいこのエントリーにしても、数ヶ月下書きに寝かせていたわりに、大変に歯切れが悪い。まあ、長く寝かせりゃいいってもんじゃないのは、肉もエントリーも同じということでしょうか。できれば、肉もエントリーもおいしくムダなく、いただいたり、お届けしたいところでございます。

2013年2月21日木曜日

鳩山家の食事に見る「庶民感覚」の正体


【All About News Dig】連動エントリー
兄は「奥さんの手料理好き」で、弟は「無類の料理好き」。鳩山家のご兄弟はそんな風に言われます。弟の鳩山邦夫衆議院議員などは、5年ほど前、週刊誌に「朝からフォアグラや天ぷらを食べるようだ」と書かれてしまいました。この話題については、のちほど詳述しますが、そんな話が喧伝されるほど、セレブリティというか、美食家のイメージが強いわけでございます。

どうしてそんなイメージがついてしまったかというと、やっぱり生まれに育ち、そしてお家柄のせいでしょうか。おふたりの祖父君は、第52、53、54代内閣総理大臣の鳩山一郎氏。父君は外務大臣をつとめた鳩山威一郎氏で、ご母堂はブリジストンの創業者、石橋正二郎氏の娘である安子さん(旧姓:石橋)。昭和の政財界のトップリーダー家系───まぎれもない国内トップクラスのセレブリティです。

先日、安子さんがお亡くなりになった際に流れたニュースの見出しもケタ違いのスケールでした。
「鳩山家ゴッドマザー安子さん死去! 生前に由起夫・邦夫兄弟に42億円ずつ贈与?」
http://www.j-cast.com/tv/2013/02/12164828.html?p=all

42億円という巨額の数字がメディアの見出しに走ると、ついついその数字ばかりを追いかけたくなるのがメディアや庶民の性。そしてわかりやすい比較軸として、その食生活にも注目が集まります。

首相時代の麻生太郎氏はホテルのバー通いで批判されましたし、同じく首相時代の鳩山由紀夫氏も、毎晩客単価1万5000円~数万円ほどのお店で夕食をとっていたことで、一部から非難を浴びました。たまに「龍圓」(西浅草)などの比較的リーズナブルなお店に行ったかと思えば、お相手は当時内閣参与だった劇作家の平田オリザ氏だったりするわけで、このあたりは平田氏の大衆芸能センスの面目躍如というところでしょうか。

ちなみにリアル庶民の食卓の数字ですが、総務省の調査では、2011年の2人以上の世帯における1ヶ月の食費は6万6904円(うち外食費が1万1038円)。2011年の平均世帯人員が2.58人ですから、1人あたりの食費は月額2万5931円。1日あたりに換算すると864円、夕食分となると恐らく400円くらいでしょうか。幅はあるものの、だいたい由紀夫サンの50分の1くらい。

一方で一人あたりの相続額では、過去に「一人あたりの平均相続額は3172万7000円」という調査がありました。鳩山家の場合、生前贈与の42億円を除いても、さらに土地家屋など含め、数百億円単位と言われ、トータルで一人あたり軽く100億円以上はあるのではと推測されています。つまり最低でも、平均の300倍以上の相続額が発生していると思われ、そう考えると庶民の50倍程度に晩飯代を抑えていたのを「庶民感覚」と仰ったり、客単価数万円の割烹を「居酒屋」と呼んだとか呼ばなかったとかいう都市伝説も納得できそうな気がしてしまうわけでございます。

ちなみに冒頭の「朝からフォアグラ」エピソード。本当は邦夫サン、朝からどころかフォアグラ自体、召し上がらないようで、件の記事が掲載された後、「フォアグラは体に悪いし、絶対食べない」、「体つきから想像するのは構わないが、まったく根も葉もない」とは言ったものの、朝に摘んだばかりのセリの天ぷらを食べることはあるのだそう。

セリは根から葉までおいしい天ぷらになる食材ということで、フォアグラはともかく天ぷらには「根」も「葉」はあるようで……という、まるで週刊誌かのようなベタなオチが、あまりにも心苦しく、読者のみなさまに対してあれこれお詫びを申し上げたくなる心持ちでございます。

2013年2月15日金曜日

貧困は肥満につながる!?



「先週、公務員の給与を支払った時点で、 国庫金の残高は217ドルになった。政府の財政は現在、麻痺状態にある」 と、129日、アフリカのジンバブエのテンダイ・ビティ財務相が語ったというニュース(http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2013/01/post-2832.php
 )が世界を駆け巡りました。

ジンバブエの人口1250万人を約2万円でまかなう……。まるで、日本国民全員を20万円でまかなうようなものでございます。

しかし貧困と飢餓の問題はとても複雑です。アメリカではハンバーガーなどのジャンクフードを主食とする貧困層に肥満が多いと言われています。日本でも、昨年発表された国民健康・栄養調査の結果では、年収600万円以上の女性の肥満率が13%。対して、年収200万円未満になると女性の肥満率が25%に増えています。

生命維持にもつながるカロリーの高い炭水化物と脂質は、本能的に体が求めるようにできています。こってりしたラーメンをおいしく感じるのが、その最たる例です。しかも炭水化物と脂質は、野菜などの繊維質やタンパク質よりも、重量あたりのコストが安い。ポテトチップやハンバーガーなどのジャンクフードほどグラムあたりのカロリーは高くなりがちなので、貧困層のほうが太りやすくなるというわけです。

ちなみにアフリカでは女性はふくよかなほうがモテる地域もあるので、太っているからといって貧しいとも限りませんが、貧困が肥満につながるのは世界共通のようです。

ドラえもんとオレンジジュースと教育理念


【All About News Dig】連動エントリー
麻布学園(中学)の理科の入試問題がネットで話題(http://mamapicks.jp/archives/52103298.html)になっている……と思ったら、記事の切り口の面白さで定評のある東京新聞さんにも、取り上げられました。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013021202000055.html

話題になった設問は「ドラえもんが生物として認められることがない理由を答えよ」というもの。問題文中に「生物の要件」を記してあるので、そこから引用すれば正答になるという考え方が多いようです。

この設問自体が良問かはさておき、問題文全体で「生物とはどういうものか」について、ひとつの考え方を示し、受験生に一定の知見を持って帰ってもらおうという意図がありそうです。

調べてみると、2012年の問題の前提となる文章にも以下のような文章がありました。
「市販されているジュースにはストレートジュースと濃縮還元ジュースがあります。ストレートジュースとは、果汁を殺菌処理して、そのまま販売されるものです。一方で、濃縮還元ジュースとは、いったん濃縮(果汁に含まれる水分を減らす)したのちに、還元(再び水分を加える)してから販売されるものです」

この文章に続く、設問も「濃縮還元のほうが販売価格が低いのは、輸送や冷却にかかる費用が下がるからですが、その理由を答えなさい」とか「還元するとき、わずかな量であれば、味や香りをととのえるため、糖分や香料を加えたり、保存性を高めるために保存料を加えることも認められている」などなど、「ジュースの仕組み」について、一定の知見が受験したからこそ得られるようになっています。

合否という結果に関わらず、受験生はこの問題をきっかけに食品製造や流通に興味を持つようになるかもしれません。東京新聞の記事中にも学校側の「学校として問題の解答や意図の解説は一切しません。暗記内容を問うのではなく、考えさせる出題は毎年しています。今回もその一環です」というコメントが紹介されていますが、問題のなかにも「教育」に対する熱意と理念が伺えます。

そんななかに「ドラえもん」などメディアで話題になりそうなネタをさりげなく織り込むしたたかさなどを見るにつけ、こういう学校がもっと増えたら、世の中はもっと楽しくなるのになあと思わずにはいられません。なんだかメディアの話みたいですけど。

2013年2月14日木曜日

携帯ショップと禁煙外来

スマートフォン(高機能携帯電話)の普及の陰で、 「ガラケー(ガラパゴス携帯)」と呼ばれる従来型の携帯電話機が、 根強い人気を保っているという記事が不思議で仕方がありません。

何が不思議かというと、最近の携帯は軽く数万円は飛んでいってしまうお高い物じゃないですか。「0円ケータイ」の時代とは違うわけです。購入環境が変わって、ずいぶん経つのにいまだに「0円ケータイ」時代と同様に買い換えてしまう。

習慣とは恐ろしいものです。パソコンやテレビは何年も買い替えなくても、ケータイなら2年で買い換えるクセがついてしまっている。

操作性に不安があるなら、店頭のホットモックで確認すればいい。わからないことは携帯ショップのカウンターで店員さんを質問攻めにしていいでしょう。その上でガラケーに戻す可能性がありそうなら機種変更しなければいい。何かの事情で、どうしてもスマホに移行しなければならないのなら、血と涙と汗と根性でなじむしかないのですし……。

友人の男性はもう5年以上、同じガラケーを使っています。しかも間違いなく「0円ケータイ」として手に入れたであろう、ピンクのガラケー。全体にもう塗装はボロボロで、揚げ句に紛失した裏ブタの代わりに、布テープでバッテリーを固定している。まあこれはやりすぎだとしても、よほど幼稚なコミュニティでもない限り、「最新のケータイを持っていないから、仲間はずれ」だなんてことはないでしょう。万が一、そんなことがあったとしたら、とっととそんなコミュニティから足抜けしていいと思われます。

記事中にあった「スマホに移行してから、ガラケーに逆戻り」という例でもそうですが、どうもダイエットや禁煙に失敗する人のパターンと似ている気がします。例えばダイエットなら、「ヤセたい」と口にしながら、甘いモノを食べてしまう人。いつもおやつにカステラを食べていたけど、ケーキに変えたら太ったから、またカステラに戻したという感じでしょうか。ヤセる必要があるなら、カステラだろうがしばらくおやつをやめればいい。難しければダイエット外来に通うなど、他にも手はあるはずです。

タバコも同じです。一度は禁煙したのに、その後なんだかんだ理由をつけては吸うようになり、終いには自分でタバコを買うようになってしまって、「やめなきゃいけないんだけどねえ」とぼやく。本気で「やめなきゃ」と考えるのなら、禁煙外来でもどこでも行けばいってチャンピックスでも処方してもらえばいい。吸うなら吸うで、他人の目と健康を省みず、ルールとマナーの範囲内で吸えばいい。なのに、「やめなきゃ」と口走ってしまう。本気なら、他人の手を借りてでもやめればいいじゃないですか──。ええっと、すみません。僕のことですね。

習慣を変えたり、そのために他人の手を借りるというのは、慣れていない人にはおっくうなことかもしれませんが、決して安くはない携帯電話料金を払っているのですから、ケータイショップを使い倒せばいいと思います。僕ももう一度本気でタバコをやめようと思い立ったら、禁煙外来のドアを叩いてみるつもりです。どうか口だけに終わりませんように。そう自分に言い聞かせながら、ちょっといまから換気扇の下に行ってきます。

2013年2月11日月曜日

おたくとOtakuと道楽と夏目漱石

【All About News Dig】連動エントリー
20~40代男性の過半数、「自分はオタクだと思う」
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1301/23/news068.html
各研究所がその規模を調査するなど、消費不況の中で注目されているオタク市場。20~40代の男性のうち、過半数は自分がオタクだと認識しているようだ。ハピネット調べ。

*****

「エッー!?」

以前からネットなどで「国民総オタク化」などの文言を目にはしていましたが、この見出しにはあれこれビックリしたので、まずは気を落ち着けるために「オタク」を辞書でひいてみました。

辞書に見る「おたく」とその語源
「俗に,特定の分野・物事を好み,関連品または関連情報の収集を積極的に行う人。狭義には,アニメーション・テレビ-ゲーム・アイドルなどのような,やや虚構性の高い世界観を好む人をさす。 「漫画 ─ 」 〔  は多く「オタク」と書き,代名詞としてこの語を使う人が多いことからの命名という。1980年代中ごろから使われる語〕」(大辞林第三版/三省堂)

大辞林上で「おたく」に上記の意味が付与されたのは、1995年発行の第二版からだと言われています。この2年前に三省堂から発行された「辞林21」での「おたく」にこの意味は掲載されていません。ちなみに大辞林さんは「萌え」なども採用している、先進的な辞書ですが、一部で「大辞林に載っている」と話題になった「ぼっち」「ツンデレ」などは、まだWeb版やアプリ版のみで、紙の辞書には採用されていません。紙の辞書に採用されるには、(意味が定着したとみなされるまで)一定の期間が必要です。

脱線してしまいました。僕が今回の調査で気になったのは「おたく」という言葉を調査対象の方々がどう捉えたか。少し前(2005年)に、「おたく」という言葉の成り立ちを、編集家の竹熊健太郎さんがブログにまとめてらっしゃいました。超ざくっと紹介させていただくと1983年、コラムニストの中森明夫さんが「おたく」を揶揄するような調子でフレーム化した概念が、1989年に起きた幼女誘拐連続殺人事件の容疑者の属性を指す言葉としてメディアに浮上したというものです。
※1983年以前から近いニュアンスで使われていたという話もありますが、詳しくは以下、竹熊さんのエントリーからどうぞ。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/03/post_10.html
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/03/post_11.html

「おたく」概念の変化
メディアから光を当てられた「おたく」という概念は、その後「自己評価」←→「他者からの見方」が明確に切り分けられていきました。情報を深堀りし、知見を突き詰めようとする「おたく」自身が考える「あるべき姿」と、メディアを中心とした「世間」からの見方──ネガティブ感を伴うレッテルです。1990年代前半には、両者の間には互いを意識しつつも明確な境界が存在していましたが、1990年代半ば以降その境界が溶けていったというか、互いが互いの概念に明確に干渉するようになっていった。このあたりの流れについては、社会学者の宮台真司さんが折りにふれ著書などで言及していらっしゃいます。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=416

海外でも「Otaku」という言葉が定着するようになった2000年代には、さらなるニュアンスの変化が現れます。時代の変化に伴い「おたく」「オタク」「ヲタク」という呼称からは、ポジティブな香りまで漂いはじめました。もはや「御宅」ではなく、社会/世界での立ち位置までも獲得した「おたく/Otaku」という呼称は、今後、何を指す言葉になっていくのでしょうか。「Tokyo Otaku Mode」(https://www.facebook.com/tokyootakumode )の快進撃を見るにつけ、「おたく/Otaku」から目が離せなくなります。

夏目漱石の解釈する「道楽」は「おたく」なのか。
1992年頃、友人との雑談の席で「●●オタクとか☓☓マニアって呼び方は、語感が楽しくないから『道楽』って言い換えようぜ」という話題になったことがあります。当時は「おお! 『道楽』なら楽しそうだ」と軽はずみに思ったりもしましたが、その後夏目漱石の「道楽と職業」を読んで、愕然としました。

「禅僧の修行などと云うものも極端な自然本位の道楽生活であります。(中略)すべてをなげうって坐禅の工夫をします」

うわぁ……。これじゃ「道楽」も常人には難しい。しかもそもそも仏教用語で「道楽(どうぎょう)」は、仏道を求めるという意味なんだとか。確かにテレビなどで拝見するコアな「アイドルおたく」の言動などは、「すべてをなげうって」いるようにも……。ともあれ「道楽」も「おたく」も、そもそもの用法では常人には到達し得ない高みのようです。
http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000qyf.html

現代における「おたく」の一般的解釈って?
というわけで、冒頭の「あなたは自分をヲタクだと思いますか」という設問。自分自身を振り返ってみると、マンガは好きですが、単なるマンガ好きだと思っているので、「ヲタクではないと思う」を選択させていただこうと思います。全体の45.7%という少数派なのは寂しいところですが。

ところでこの調査のプレスリリース原文での「おたく」の定義は「※おたく(オタク、ヲタク)とは、サブカルチャーファンの総称。元来、アニメファンを指す呼称が、現在、広い領域のファンを表すため、アニメファンは「アニメヲタク」(アニヲタ)と一般的に呼称されている。」となっていました。

あれ? 単に「ファン」だと解釈するなら僕も「おたく」ということに……。他意のない素朴な疑問ですが、いま一般的に言う「おたく」とはこういう解釈なんでしょうか。

2013年2月7日木曜日

1900万円のうますぎる? 経済効果


【All About News Dig】連動エントリー
香川県の「うどん県」や、広島県の「おしい!」キャンペーンに引き続き、衝撃の施策を岡山市が展開しています。

「桃太郎市、実は「伝説の岡山市」 市長が改名宣言種明かし」
http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2013020114043974

ざっと概略をさらうと、岡山市が1月29日に「『おしい! 桃太郎市』に改名する」と市長が宣言する記者会見動画やしょぼいウェブサイト(http://den-oka.jp/teaser/ )を公開。しかしこれらは実は前フリとしてのネタで、岡山市は2月1日に「市長が鬼にあやつられていた」と撤回し、「伝説の岡山市」という本当のキャンペーンをスタートさせました。捨て身とも言えるキャンペーンに五体投地というか身投げ状態の市長に男惚れしそうです。

予告編のプロモーションビデオ(PV)の主演俳優に地元出身の甲本雅裕を起用し、そのBGMには実兄の甲本ヒロト率いる、THE HIGH-LOWSの「日曜日よりの使者」。本編のPVシリーズは現在も更新され続け、地元の名産品や伝統行事などを「知られざる伝説」としてプロモーションしていく模様です。

https://www.youtube.com/watch?v=mj9CtE65Edo

一部で「だまし」とも言われた、事前の記者会見PVにも市長自らが出演したことで、大手メディアがこぞってとりあげ、「マス」パワーが効果を発揮。「伝説の岡山市」公式Web(http://den-oka.jp/ )のFacebookの「いいね」は2万を超え、URL入りのツイート数も4000を超えました。ネット上は「ヤバイ!」「おもしろすぎる!」など絶賛の嵐。

といっても、一部では「おしい! 岡山自体を認知させるプロモーションとしては成功しているが、最終目的がわからない。財政が苦しいのだからこの予算で名物を作って、知名度を上げて集客につなげるべきだった」などいろいろな意見があるようです。

確かに、動画の「伝説FILE第二弾~岡山市は(自称)日本一暮らしやすい街である。」内に登場する「サワラ」などはもう少ししっかり紹介するといいのになあとは思います。以前、料理マンガの『美味しんぼ』でも紹介されていたように、サワラは足が早く、岡山以外では刺身でいただくのはなかなか難しい。だから岡山に来て、食べてみて。というような話も盛り込みたい気持ちはよくわかります。

しかし、このPRにまつわる事業費は1900万円。この予算内でタレントをブッキングしたPVを作り、プロモーション展開を行い、新幹線の停車駅である品川駅構内でもCMを流しています。マスメディアにもしっかり取り上げられ、広告業界でよく使われる「メディア露出」の広告費換算で言うと、既に十分モトは取ったと思われます。最初の反応が良すぎたからか、事前にUPするのが自然なはずの「予告編」の第三弾がUPされていないという謎も残されていますが。

それにしても、なぜ県ではなく財政の苦しい市がやったのかと、最初はクビをひねってしまいましたが、そういえば岡山県は結構な赤字を誇る自治体でした。
http://www.rnc.co.jp/news/index.asp?mode=1&nwnbr=2013020410

自治体におけるこの手のプロモーションは、担当者や首長が超ノリノリでなければ実現しません。仮に「やろう!」となってもその裏側にある面倒くささは推して知るべしで、例えば今回の企画でも事前に香川県や広島県に話を通していた模様です。岡山市さんには「素敵な企画を楽しませていただいてありがとうございます」と申し上げたい気持ちでいっぱいです。

ちなみに僕自身、お世辞抜きで岡山のごはんは大変おいしいと思います。数年前、田んぼの中にぽつんと佇む天ぷら屋の天ぷらや駅弁の「あなごめし」などもとてもおいしかった。しかし地元の人が日常で食べている、本当においしいものはまだまだあるはずです。

2011年のB-1グランプリを制した蒜山(ひるぜん)焼きそばもおいしいとは思いますが、いわゆる「B級グルメ」でなくてもいいでしょう。できれば、サワラやママカリのような日常で長く愛されたものにさらなる光を当てていただくと、次に伺ったときにまたまたうまいものにありつけそうな気がするわけで、市/県の垣根を問わず、岡山のみなさまどうぞよろしくお願い申し上げます。

2013年2月6日水曜日

桜と餃子、春の明暗

【All About News Dig】連動エントリー

暦の上では春でございます。そんな折り、こんなニュースが静岡新聞に載りました。

「咲いてないから開花促進剤散布、地元に賛否両論 河津ザクラ」
http://www.at-s.com/news/detail/474561923.html

静岡県河津町で2月5日から3月10日まで行われる河津桜祭りは例年100万人の観光客が訪れる同町の一大イベント。ところが、例年2月に咲く桜が、今年は寒波で開花時期が遅れる見込みとなり、昨年秋、町は開花促進剤を散布しました。そのことに対して町民からさまざまな意見が噴出したそうです。

A.「観光客に来てもらったのに花がなくては説明が付かない」(66歳・タクシー運転手・♂)
B.「観光客は気の毒だが、自然が相手。自然に手を加えることは観光客を結果的にだますことになる」(73歳・町民・♂)
C.「昨春の開花の遅れで、観光業者から散布を望む声が強まった」(河津町産業振興課の担当者)

わかりにくいので勝手に意訳させていただくと、それぞれ「観光資源がないと、稼ぎにならない」、「自然に手を加えるとはけしからん」、「まちおこしに差し支えるので、散布を決定しました」というところでしょうか。

では肝心の客はどう思っているかというと、記事中に新潟県からの旅行客(75歳)の「早春に咲くから珍しがって来る。散布しなくても観光客は来るのでは」という声もありました。もっとも、昨年開花が遅れたところ、前年100万人だった観光客が70万人に減ったという、町にとっては頭のイタイ話もあります。

今回の記事にあった話を基準とすると、町民のスタンスはおおきく以下のふたつにわかれると思われます。
1.「桜の咲き加減よりも、河津の自然を守りながらありのままを楽しんでもらおう」
2.「毎年必ず、祭りの時期には咲き誇る桜を楽しんでもらおう」

自然が相手となるとそうそう人間の思うようにはいかないようですが、観光資源である以上、なんとかならないものかと考える人も当然いるわけです。他方で全国に目を向けると、動かしようのない事実を受け入れながらのプロモーションを展開する町もあります。例えば昨年、「餃子の町」で知られる宇都宮が展開した「宇都宮餃子日本一奪還計画」もそう。昨年、ニュースサイトにこんな記事を書きました。

「浜松に「餃子日本一」奪われた宇都宮が剥き出しにする危機感」
http://www.news-postseven.com/archives/20120718_128707.html
2011年、世帯当たり購入額で静岡県浜松市に日本一の座を明け渡し、危機感を募らせた宇都宮市が凄まじい餃子キャンペーンを繰り広げたという記事です。自虐ネタを随所に盛り込んだキャンペーンサイトはネット上でも話題に。そしてつい数日前、2012年の結果が出ました。


http://www.shimotsuke.co.jp/select/ugno1/

2位でした。町おこしを狙う以上、誰もが「2位よりは1位のほうがいい」。にも関わらず、2位というくやしい結果を堂々と発表する宇都宮の潔い姿勢に好感を抱いてしまい、思わず宇都宮の名店「正嗣」の餃子を取り寄せそうになったほどです。

河津の桜だって、毎年異なる風情を楽しむのも悪くない気がします。仮に散布剤が効いたとしても、雨が降れば人出は少なくなるでしょうし、開花時期を100%コントロールするのは無理でしょう。確かに咲いているほうがいいのかもしれませんが、お花見というものは毎年直前まで決まらないのが当たり前……という理屈は、お客様という神様には通じないのかもしれません。

と思ったところで、静岡新聞の記事にこんな意見がつけ加えてありました。

公益財団法人「日本花の会」の和田博幸主任研究員の話
河津町には河津ザクラよりも早咲きの「河津正月ザクラ」という種類があると聞く。河津ザクラと同じ系統なため、町がこのサクラの栽培を行えば、「シアナミド液剤」は使わなくて済むのでは。開花促進剤を散布したサクラは大きさや色の面で十分な咲き方をしない場合もある。

ちなみに今年の開花予想は2月中旬。見頃は下旬となるそうです。
http://www.47news.jp/news/2013/02/post_20130205205009.html

2013年2月1日金曜日

危機感と約束と衆人環視

【All About News Dig】連動エントリー
今日、年末に交通事故に遭った友人が退院します。おめでとう! まだ当面は不自由なことも多いでしょうが、まずは良かった。100%……、いや120%の快復を目指して今後もがんばってください。まあ飲むなと言うても、多少は飲むでしょうから、当分酒はほどほどにすると周囲も安心するでしょうというお告げが出ております。

さてその友人が2か月間の入院で、減量に成功しました。入院から1か月で5kgくらい落ちていましたから最終的には6~7kgの減量に成功したものと思われます。

僕自身、昨年3ヶ月間で8kgのダイエットに成功(現在では4kg分リバウンド)しましたが、ご存知のとおりダイエット後の体重の維持・管理はとてもむずかしい。ある程度の年齢になると代謝が落ち、放っておくとブクブク太ってしまう。そこで「約束」など何らかの制限が必要になるわけです。

カジュアルなもので言えば「お参りダイエット」もそのひとつ。神社でのお参りは「神様と約束を交わす」行為です。よく「お願いごと」をする人を見聞きしますが、本来は日頃のご加護に感謝し、神様と約束を設定する行為です。ちなみに正しいお参りの仕方ですが、二礼二拍手一礼に加えて、まず住所と名前、生年月日(干支も)を申し上げ、日頃のご加護に感謝。その上で「●●をがんばりますので、何卒ご加護のほどを」とお願いし、最後に神様のご健勝、ご清栄、ご発展をお祈りします。そうすると神様も「おお、いいやつじゃ。ちょっとくらい願いをかなえてしんぜよう」となるようです。とある神社の宮司さんが、そう仰っていました。

しかし「お参りダイエット」はなかなか成功しません。お参りという神様との「約束」は、実は自分との約束です。やさしい神様との約束は、破ったところで手ひどいバチを当てられることはないと人は都合よく解釈しますし、実際にバチを当てられる(と自覚するような)ことはありません。せいぜい健康診断で要再検査という結果が出るなど、小さなバチは当たる程度でしょうか。、「このままでは現在の暮らしが維持できなくなる」というような危機感が強い場合には、成功することもあります。しかし一人ではなかなかそうは思えません。僕が減量に成功したときも、久しぶりに会う友人3人から立て続けに「太った」と言われ、そのショックが危機感という支えになり、減量することができたわけです。

そういえば先日「減量にはTwitterが効果的。ツイート10回が約0.5%の減量に相当する」という研究結果が発表されていました。しかも「ノートに書く」というレコーディングダイエットよりも、ヤセる傾向があるというのです。
http://wired.jp/2013/01/22/twitter-as-a-weight-loss-tool/

Twitterは文字通り「ソーシャル≒社会的」な場です。世間に向けて情報を公開するというのは、ある種の約束を世間や知人との間で交わすことでもあります。

よほどの危機感を持っていたり、意志の強い人なら別として、たいていは自分との約束にはついつい甘くなってしまいがち。しかしTwitterのようなソーシャルメディア上での「約束」となると、少し意味合いが変わります。大勢と約束をするということは、その外側にも伝わる可能性があります。衆人環視での「約束」はソーシャルにおいて「守らなければならないルール」に変化する。だからこそ、ダイエットが成功しやすいという面もあるのでしょう。

さらに他者との「約束」はコミュニケーションの形態でもあります。人は自分には関係のない個人的なことについては、寛容な面があります。つまり、どうでもいいんです。だから少し体重が落ちただけで「すごい!」とホメてもらいやすい。人間はホメられるとヤル気を起こす動物ですから、世間との約束に加えて「ホメ」の効果でヤル気が継続し、ヤセることができるという面もあるはずです。

何よりも強力な手法は、冒頭に紹介した友人のように、環境の強制的な「管理」ですが、こちらは長期間続けるのは難しい。入院中にせっかく減量に成功しても、退院して管理下から外れた途端、暮らしまでも元通りに。結果、体重まで元通りというケースはいくらでもあるわけです。というわけで、退院した友人にはお祝いを申し上げつつ、今後ともその体重をなまあたたかく見守る所存でございます。にやり。